安比奈のなないろディップスイッチ

世界一悪い観客、安比奈誠伸のブログです。
アイドル声優たちよ、無駄飯、無駄酒、無駄口、無駄遊び、無駄ショッピングの後は、これを読め!
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アニメ首脳陣よ、声優ファン・アニメファンからどうやって搾取するか、煮詰まった時はこれを読め!
炎上上等!!突撃上等!!
素人の傍目八目な爆言で、喝!!

警告!声優ファンやアニメファン(特にネギまファン、リリカルなのはファン、ゼロの使い魔ファン)は読むのをやめた方が無難です。


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その59:つまづいたら、立ち上がれの巻

ここはニートの託児所?
今回は、声優・アニメとは関係ない話。
半年前だが、週刊誌で気になる記事を見つけた。
現政権は、ニート対策として、『再チャレンジ政策』を掲げた。
そこで、再チャレンジ政策の中身を探るために、職業安定所(ハローワーク)に設けられた、『若者自立支援センター』を取材した、という記事だ。
その寒過ぎる実態、それすら通り越して、アホらしくなる実態が写真付きで書かれている。
職員が相談を受けてくれるのは当然だが、問題はそれではない。
掲示板にはアイドルのグラビアの切り抜きが貼られ、棚には絵本、マンガ、CD、プラモデルが並んでいるのだ。
さらに、『プラモデル部』『お出かけ部』『ダイエット部』というサークル活動のチラシまである。
ここで遊んでいいよ、ということなのだろう。冗談じゃない。
マンガやプラモがなかったら、まるで幼稚園か託児所だ。
これが税金で買われたものだというから、頭に来てしまう。
潜入取材に来た記者は、フリーターを装って職員に「正社員になりたい」と相談してみた。
すると、それまで異常なくらい優しかった職員が急に冷たい目で、
「ここは社会に踏み出せない方のためにあります。あなたは若者就職支援センターに行かれてはどうでしょうか」
あっけなく断られてしまった。
余程重症でない限り、ここでは遊ばせてもらえないのだろうか。
そもそも、それくらい重症なら、まず医者かカウンセラーに相談した方がいいと思うが…。



ある編集者、そして私はどうやって再出発したか
はっきり言ってしまおう。
これで社会に踏み出せるとはどうしても思えない。
現に、踏み出せた人が出たなんて、聞いたことがない。
ニートのための合宿、あるいは社会適応のためのプログラムはあちこちにあるが、それで立ち直れた人なんて、未だに聞いたことがない。
全くいないわけではないが、本当にごく少数なのだろう。
なぜ合宿やプログラムに入れてもだめなのか。
答えは簡単、自分から動こうという意志がないからだ。親がうるさいから来ているだけで、来たくて来ているわけではない。
アイドルがニートに向けて、「がんばって」というメッセージを送っているのを聞いたことがあるが、ご苦労様。本当にご苦労様だ。向こうは何とも感じてなんかいないのに。
いくら周りがお膳立てをしても、本人がやる気を出さない限り、動こうとしない限りはどうにもならない。
動き出そうという気持ちがあれば、立ち上がれる。
とある小説編集者の話を書いてみよう。
彼は大学を出た後も就職せず、ヨーロッパに旅に出てぶらぶらと遊んでいた。帰国してからも、バイトを転々としていたそうだ。
そんなある日、彼はたまたま出版社のオーナーと知り合った。
その出版社に入れてもらって、今までが嘘のように必死になって働いて会社を盛り立てた。さらに独立して自分の出版社を創立した。
そして、芥川賞、直木賞作家を5人も送り出したスーパー編集者になった。
おそらく、オーナーと知り合って、眠っていた意欲が目覚めたのだろう。今までチャンスに飢えていたのだ。
次は、私の話。
新卒で入った会社を辞めた(というより、切られた)。そのあたりの事情は、まだ書くのは控えることにする。
再就職先を探したが、さっぱりうまくいかない。仕事から解放されたら、かえって力が入らなくなってしまったのだ。
就職試験は受けるそばから落ちた。ある時は「残念ながら…」の電話か手紙。ある時は「連絡する」と言っておいて、なしのつぶて。そんな繰り返しが半年続いた。
他に何もしていなかったのかといえば、そうではない。少しでも就職の幅を広めようと、資格を取るために資格講座に通った。授業が終わった後は、スポーツクラブで体を鍛える。だから、正確にはニートではないわけだが、アルバイトはしなかったので、無職であることに変わりはない。
自分では動いていても、傍から見ればまるで動いていない私に、さすがに親は業を煮やした。知り合いの薬局チェーンの社長に頼んで、そこでアルバイトをさせてもらうことになった。
今までのITとはまるで畑違いの慣れない仕事で、失敗ばかりしながらもがんばって働いた。
2ヶ月くらいたって、がんばりが認められたのかはわからないが、そこの社長に「知り合いにITの会社の社長がいるから、そこで働いてみないか」と声をかけられた。
翌月の初めに面接を受けにいって、次の日から入れてもらえることになった。
そして、今もそこにいる。


立ち上がらないことが恥ずかしい
半年間の『休暇』の後、「俺は何をやってるんだ?」「俺、一体どうなるんだ?」と思いながら薬局で働いた日々。
でも、「このままでは終わらないぞ」という気持ちは忘れなかった。
だからこそ、再出発への道が開けた。そして今は、貯金で投資信託をやれるまでになった。
もしあの時、あきらめて流されるままに過ごしていたら、本当にどうなっていたかわからない。
もう一回書こう。
自分で立ち上がろう、やり直そうという意志がない限りはどうにもならないんだ。
これは前回の、「自分の元気は自分で出せ」ということにもつながる。
意志がない限り、いくらチャンスがあったって無駄に終わってしまう。
外から与えられるだけになっていてはだめだ。
最後に、とあるマンガからの台詞。
「人間、つまづくことは恥ずかしいことじゃない。 立ち上がらないことが恥ずかしいんだ」

参考文献・小学館・週刊ポスト 2006年10月6日号

今回の要点・道を開きたいなら、まず立ち上がろう。
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  1. 2007/02/17(土) 22:57:14|
  2. 安比奈のなないろディップスイッチ
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  1. 2007/02/19(月) 01:16:21 |
  2. |
  3. #
  4. [ 編集]

故・蔦文也監督の言葉

>最後に、とあるマンガからの台詞。
>「人間、つまづくことは恥ずかしいことじゃない。 立ち上がらないことが恥ずかしいんだ」

これと同様の言葉を、1982年夏・1983年春・1986年春の甲子園での大会で優勝を成し遂げた、徳島県立池田高等学校野球部・蔦文也監督(1923~2001)が言っていたことを、次のように述べていました。

「―長い監督生活で、蔦さんが得たものは何ですか?
『喜怒哀楽じゃのお。勝って喜んで酒飲む。負けてグチ言いながら酒飲む。それがまた楽しいんじゃ。選手の失敗を言ってはいかんと思いながら、あの時ああすれば、とグチを言うてしまう。ほなけんど(でも。投稿者注、以下略)、それが人間じゃろなあ』
―監督になって初めて甲子園に出場したのが1971年夏。20年もかかったのはどうしてですか?
『ほら、ワシの行いが悪かったからや。負けるけん酒飲む。迷う。年中、迷いっぱなしじゃ。ワシの人生は野球がオモテで、人生の方がウラ側。ウワハハハハ。その野球も本末転倒。長いこと酒が本で、野球が末やった。』
夜の底は四国山脈おろしの粉雪が走って、散って、消えた……。

…(中略)…

さて、(1951年~1991年の)41年間。監督生活、計15回の甲子園で、蔦文也が遺したものは何か?

…(中略)…

③は『三無主義』。『人生、近道なし』。監督就任から甲子園出場まで20年を要したことから。『人生、待ったなし』。投げ直し、打ち直しが出来ない野球同様、人生も一度きり。蔦は『人生は闘いの連続』という。『人生、失望なし』。徳商(徳島商業)時代、自分の失敗でしばしば敗れたが、あのとき失望して野球をやめておれば、後年の蔦はなかった。
『人間、暗いトンネルが続いても太陽の輝く朝があるんじゃ』『負けたことを恥とは思わん。負けて人間がだめになるのが恥なんじゃ』

…(中略)…

野球人、蔦文也はまぎれもなく、『人生の教師』でもあった、と。合掌。」

(日本スポーツ出版社『ホームラン』〈2001年6+7月号〉より。ここまで敬称略)

蔦文也監督は、野球を通じた“人間形成”に力を注いできた、まさに“努力の人”でした。
これからも蔦監督は、多くの人々の心の中に生き続けることでしょう。
  1. 2007/02/21(水) 01:23:50 |
  2. URL |
  3. M.N #-
  4. [ 編集]

追加

「蔦文也は1923年8月28日、徳島市で蔦新吉の長男として生まれた。父新吉は徳島商業教諭や小松島実業学校長などをした教育者。蔦には男兄弟はなく、蔦のあとに生まれたのは女ばかり4人。
この蔦の実家が徳島市内から吉野川をさかのぼること80キロ、徳島県三好郡池田町《現・徳島県三好市。投稿者注、以下略》にある。蔦家は江戸時代、『阿波刻み』という藩御用達の葉たばこを製造していた。この名家の5代目跡取り息子になる文也は、徳島師範付属小に入学するが、勉強もよく出来、腕力もあり、徳島市内の家でも夏休みに帰る池田の実家でも大事すぎるほど大切に育てられたらしい。
“坊っちゃん大将”の蔦が野球にとりつかれたのは小学4年のころ。
蔦は野球部の投手として『おもしろいほど三振をとり』県下の大会にことごとく優勝した。

…(中略)…

徳商生徒時代の蔦は三度(たび)、甲子園の土を踏んだ。…徳島商時代の蔦は練習ではボンボン長打で飛ばすのに2年間の甲子園4試合では12打数0安打。1本のヒットも打っていない。

…(中略)…

1941年(昭和16)、同志社大(経済学部)に進んだ蔦は、関西六大学野球で何度か優勝の美酒に酔う。

…(中略)…

戦後の蔦は日本製鉄(新日鐵)広畑、日通徳島支店などに勤務。稲原《幸雄。蔦が徳島商業の生徒だった時の野球部監督でもあった》が監督だった社会人野球『オール徳島』の投手として3度、後楽園の都市対抗野球に出場した。
1950年、プロ野球が2リーグに分裂したとき、蔦は契約金30万円で東急フライヤーズ(日ハムの前身)に身を投じた。キミ子夫人とは同年に結婚したが、結婚式の翌日に新妻に断りなく契約したというのも、蔦らしいエピソードだ。
しかし、まるで一人で野球をやっていたみたいに、ポンポン気前よく投げ込む蔦のピッチングはプロでは通用しなかった。

…(中略)…

徹底的に失敗だったわずか1年のプロ野球人生で、蔦は一つの教訓を得た。それは、『実力のない者はさらねばならない。実力をつけなければ、野球という戦いには勝てない』というきわめて単純な真理だった。
プロ野球人としての戦いに敗れ、実家のある池田町に戻った蔦は高校教員採用試験を受けた。合格した蔦は51年から池田高校分校の教壇に立った(担当科目は主に『一般社会』)。
翌52年、野球部監督に就任した。蔦の高校野球の監督生活がここから始まった。

…(中略)…

蔦の猛烈な千本ノックを受ける選手たちは次々に倒れた。そのたびに蔦は『そんなことをしよったら、いつまでも徳商に勝てんゾ』と怒鳴りまくった。倒れた選手に蔦はバケツの水をぶっかけて起こし、またノックを続けた。

…(中略)…

『私の厳しい訓練に耐えられなかった者はみな落として行く主義であったことを思うと、私としてはそんなにさわやかではなかったと思う。ワシを恨んどるもんも、ようけ《沢山》おるじゃろう』

…(中略)…

夏休みのグラウンドの蔦は“傑作”だった。ノックの数がふえ、熱中するにつれ、蔦は着ているものを一つ一つはいでいった。はじめが帽子。次が上衣、アンダーシャツ、そしてズボンを投げ出し、スパイクシューズもストッキングも脱ぎ、最後はハダシでパンツ一丁という姿でノックに熱中するのが常だった。蔦は『変人』『奇人』呼ばわりされた。
池田チームの練習は放課後だけではない。早朝練習というものがある。これも戦前の稲原監督下の徳商のやり方を踏襲したものだ。蔦は毎朝5時に起き、自転車で犬の子一匹いない学校のグラウンドへ。選手たちが来る前にひとりグラウンド整備をし、ボールの綻びをつくろって、6時からの練習を待った。

…(中略)…

弱小だった池田チームはこうした蔦の厳しい指導で次第に力をつけて行った。

…(後略)…」

(日本スポーツ出版社『ホームラン』〈2001年6+7月号〉より。敬称略)
  1. 2007/02/21(水) 22:32:32 |
  2. URL |
  3. M.N #-
  4. [ 編集]

2ちゃんねるは非常識な連中の溜まり場

常識も節度もない連中の溜まり場“2ちゃんねる”で、このブログのことを酷く誹謗中傷している書き込み(スレッド)を見つけました。すると、何と私のことも誹謗中傷していたのです。
2ちゃんねらーの行為は情けないにも程がある、と思いますし、又、あまりにも精神のレベルが低すぎて、私たちは怒る気にもなれません。寧ろ笑ってしまいます。
私たちは常識と節度ある人々として、立派に振る舞っているというのに、一体…(笑)
私は安比奈誠伸さんのブログを、心から応援します!

2007年2月22日
M.N
  1. 2007/02/22(木) 00:25:21 |
  2. URL |
  3. M.N #-
  4. [ 編集]

res

M.Nさん>
蔦監督、歴史に名だたる名監督です。
今もなお、伝説は消えません。

もう少し、コメントは簡潔にお願いします。
誠に勝手ながら、あまり長過ぎると、一部カットさせていただくことになるかもしれません。

あのスレッドは私も知っています。こちらで、削除依頼も既に出しています。
http://qb5.2ch.net/test/read.cgi/saku/1148146674/l20
あそこは、ここから落ちこぼれた良く言えば落伍者、悪く言えばゴミどもの産廃処理場です。
  1. 2007/02/22(木) 07:34:46 |
  2. URL |
  3. 安比奈誠伸 #-
  4. [ 編集]

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